北神戸田園スポーツ公園に常設パークをつくるまで
2000年
すべては少年の一言から始まった・・・
「なんで、スケートは公園で滑られへんのや!」
若者文化の最先端を行ってる神戸に、どうしてパブリックパークがないの??
そして、パブリックパークを作るための活動に協力する仲間たちが集まりだした・・・
<平成12年度 >
・「世間にスケートを理解してもらうための活動をしたい」
この思いで、北神戸田園スポーツ公園(通称:でんすぽ)さんに協力を依頼する。
・そして、でんすぽさんが協力を受けてくれました。
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まだまだ小さなセクションしかなかった頃です。それでも、暗くなるまで滑りました。
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日曜日は体育館の工事現場がパークに・・・
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・神戸市とパブリックパーク設立に向けて協議を重ねる。
・パークコーディネータの入潮氏が、セクションメーカーに働きかける。
・地元のスケーターたちと行政とで、パーク運営に関するワークショップを開催。パークの名前・会場内のルール、オープン後のスケーターと行政の役割分担など、運営に関する事を一緒に作り上げていった。
いよいよみんなが楽しめるセクションを置く時が来た。
<平成14年11月3日>
入潮プロデュースコンテスト 「フリーダム」 開催
<平成15年度 >
どんな条件であっても、月に一度は必ずスケーターが集まって、自分たちでパークを開催し続け、完成したばかりのテニスコートで、ようやく月一度の手作りパークが認められた!
<平成16年4月29日 >
このパークづくりから、発信したいこと
署名活動をしなくても施設としてパークを開設できました。
署名活動をしなくても施設としてパークを開設できました。
なぜって・・・
社会にスケートを理解してもらうのに一番大切なのは、
「ちゃんと続ける事」
3年間に渡って、月一度のパークを継続して続けてきた事
●一般の人に迷惑を掛けない
●自分たちのことは自分たちでする
こんな当たり前の事が出来ないだけで、スケーターって誤解されている部分が多いんじゃないかな。
「ちゃんと続ける」を大切にしていけば、日本中にパブリックパークを広げていける可能性もある。
これからも、でんすぽのパークは「ちゃんと続ける」をスケーターに発信していきたい。