2010年6月27日

のびのび ②

田んぼの周りに 小豆や黒豆の苗を植えました。
もうあぜにはたくさんの草が生えていて、丁寧に草取りをしてから
苗植えです。
目的は田んぼに入る虫を止めるため・・でしたよね、やっちゃん。
レクチャー頼みます。
 親子でみんな何をお話してるのでしょうね、こんな時間の過ごし方もいまの時間必要じゃないかな?

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やっちゃんより
田んぼの周りに大豆や小豆を植えている光景(あぜまめ)も最近はめっきり見なくなりました。
食糧事情が良くなっているせいでしょうね。
元来、あぜまめは土地の有効利用をするうえで、水管理などが水稲に似ており、現在のように減反政策の水田に「大豆」などを栽培するよりも、稲作のほうが収入が多い時代には、自家消費分を栽培する上で適していたようです。
ぬりあぜ」の保護や「むしよけ」などは、副産物として派生したもので「おまけ」です。
水稲にとっては天敵といわれる「かめむし」が大豆には集まりやすいことから、集めてしまうともいわれていますが、周辺の雑草管理を頻繁にすることで大きな被害には至らないと思います。
私がこの方法で栽培している水稲では、「かめむし」による食害(斑点米)はみうけられません。
土地改良による田んぼの整備や波板などの資材により、水漏れの心配もなくなり「あぜつけ」や「うえつけ」などの労力を考えると、決して割の合う作業でないことは確かです。
棚田でのあぜ豆の植えつけ、おつかれさまでした。良いお米が出来るようにしっかり管理していきます。
あぜまめ」が食糧事情と関連している記述を前文でしていますが、稲作技術が現在ほど確立されていなかったころには、異常気候などにより米の収量が悪い年もあります。 しかし、昔の「年貢」ではありませんが、「米」を売って「いも」を食う、といった生活が農家では日常のことでした。
稲作においても2~3種類の米をつくっていたり、緊急用に「いも」、「だいず」「あずき」などの穀類や「ひえ」「あわ」なども立派な食料でした。
今では「アレルギー」のためのように思われていますが、立派な主食でした。
「あずき」の緊急保存法として「おじゃみ」という方法がありました。
布のはぎれを利用して子供の玩具として利用でき、食糧難の時には食料にできます。私の子供の時には「まくら」にも小豆がはいっていました。
「あぜまめ」に虫が集まらないための方法として、頻繁な草刈が必要と記述いたしましたが、昔は労働力としての「うし」が各農家で飼育されており、食料として新鮮な「草」は否が応でも必要だったのです。また、食害をうけた「大豆」「小豆」もだいじな牛の食料にしていました。
われわれの生活様式や嗜好の変化、とりわけ、過程を省いて結果のみを追い求めてしまう効率化重点主義の現在には、時間と労力の非効率な作業は敬遠される運命なのでしょうか?