地元市会議員及川さんが、どんな津波だったのか
あれからどうしたのか、そして今を語ってくれました。
足元の住民のために尽力している市会議員さんです。
本来の姿です。
このフェンスから見える向こうの山の中腹まで津波が押し寄せてきました。
20メートルの高さです。線路も橋も家も田畑も全部流されてしまい、危険地域に指定されてるからすむことができない。JR気仙沼線は壊れたまま、復旧のめどはなし。そんな中でも
気仙沼ででた瓦礫は出来るだけ地元で処理をと焼却施設の誘致、今は巨大なトマトハウスで地元に仕事を作り出すことの尽力。
学校の敷地にたった教訓。高台移転が遅れに遅れ人口流出が止まらなく
とうとうこのばしょの少・中学校は統合でなくなります。
100人いたら100人の意見があります。どこで折り合いをつけるか議員も含めて
みなさんご苦労されています。
始まった高台移転
自立再建・公営住宅・・
この空き地は高台移転をキャンセルしたひとが 続出した結果
のこと。ここに家を建てたい人がくる街づくりが始まっています。
最後の訪問地が小泉地区の高台移転場所でした。
ここから2時間以上バスで空港に向かい帰路につきます。